包丁の歴史【2】
包丁と言う呼び名は魏の国王の時代の庖丁(ほうてい)さんと言う人から由来しているのですが、実際に刃物として使用したのは石器時代の石器を包丁のように道具として使用したことから始まります。
時代を経て、包丁の原型である日本刀の刀剣技術は中国大陸、朝鮮半島から伝わり、さらに日本独自の形になり、現在のような日本刀になったのは平安時代初期のころ。
明治時代の廃刀令と言うものによって、軍の刀のみしか製造が出来なくなり、刀匠から鍛冶になった人たちがたくさんいました。
それが、「打刃物(うちはもの)」と呼ばれる包丁・農業用刃物の製造として今でも引き継がれ越後打刃物(新潟県)、越前打刃物(福井県)、堺打刃物(大阪府)、播州三木打刃物(兵庫県)土佐打刃物(高知県)などが有名な産地として残っています。
日本最古の包丁として現存するのは奈良時代のもの。奈良の正倉院で保存されています。包丁は研ぎ直して使用する消耗品ですので、実際はもっと前からあったと考えられています。
この包丁は柄が長く日本刀に似た形をしてるのですが、現在の包丁のような姿になったのは江戸時代と言われています。
包丁は江戸時代のさまざまな食文化の発達とともに変わっていったと言われています。
明治時代に入ると、西洋文化が入ってきて、同時にいろいろな料理方法や料理と共に西洋のナイフが広まっていきました。
特に牛刀はこの頃に名前の付いた包丁で牛肉をさばくための包丁と言うことで呼ばれるようになったそうです。
さらに、日本人は牛刀と菜切り包丁をミックスすると言う工夫をして文化包丁と言うものを創り出します。
さらにそれは進化して、私たちがもっともポピュラーに使用している三徳包丁になっていきました。三徳包丁は海外でも「SANTOKU」と呼ばれるほどの名作となっています。
昭和の後期にはステンレスの技術が確立してその後、ディナーナイフや洋食器の技術を組み込んだオールステンレスタイプの一体型包丁などが生まれています。
また、包丁の産地としては燕・三条(新潟県)、関(岐阜県)などが有名です。今は、包丁の新素材を初めに日本の技術が世界でもかなり使用されているそうです。